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【 蘇る青春#1 改 】

掲載日 2020-10-16

キュー作りを始めて何年かなぁ…ふと考えた。
震災があったのが2011年だから、スタートは2009年だ。あっという間だね。

私が最初に考えたことは、メープル材とその他の材では撞き味が違うということ。
それならばまず『自信のあるメープル材のモノ作りから極めよう』ということであった。
“メープルフロント”である。

ご存知の方も多いと思うけれど、
私はGusのメープル材の撞き味が好きである。
白地に黒の接ぎ材がこれまた美しくて、そのキャンバスに象牙のインレイが入っているのにハマったのよ。
その当時人気のあったBalabushkaよりも断然Gusが好きだった、若かったね。

Gusにハマる前に集めたのが実はKersenで、あっという間に40数本を集めた。
SWのJerry Franklinが私がKersenを集めていることを知るとせっせとあちこちから持って来てくれたし、SWのディーラーだったVince Tadescoは、私がラスベガスに行くといつも3本程買い集めて持って来てくれた。
SWを通してKersenを集めたわけだから、まずSWとKersenを見間違えるわけがない。
すべて証明されたキューばかりで、私の目利きもこの手のキューをたくさん見て鍛えられたのよ。

Kersenを集めてみて知ったことはたくさんあるが、中でも驚いたのはシャフトのテーパーが一本一本違っていて、バットもすべて違ったこと。打感の比較も何もあったものではない。

Kersenはキューのベースを作った神様のように認識している人が多いと思うが、現実には作品群を通してみる限りそうでもないことがよくわかる。ついでに言うと、ネジ山が低くてシャフトのガタも大きかった。
だが今の私の目から見ると、その『一本一本全然違うこと』こそがKersenの良さなのであろう。
1バット3シャフトのキューでも、3本のシャフトが全く違うのだ。びっくりしたし、不満に思ったことも当時は多かった。だが今キュー作りをしているおかげでKersenが何を考えていたのかが半分理解できるので、実に面白くて興味深い。

Kersenを集めてみて、そして比べてみると、90年頃のSWは実はとっても良い仕事をしていた。
製作開始の1982年から2020年までの間では、88〜92年頃までがSWの全盛期ではなかろうかと私は思う。
SWの初期の物は全く話にならず、ボヨンボヨン…。何度も手にしたけど好きになれなかった。だから最初の頃の物をコレクションとして購入したのはおそらく92〜96年頃だったと思う、それも仕方なく、である。


話は全然違うが、誰に聞いたこともないけれど、
私自身はキューメーカーで一番腕が良いプレーヤーは間違いなくGeorge Balabushkaだと思う。これはキューを通して肌で感じることである。
次にMike Gulyassy、Bobby Hunter、私とSearingは同じぐらいかな、と感じた。
Bill Stroudも大変上手だったね。

球を撞かないメーカーは、Tad、Barry、Dave、Tony…、あれ?ほとんどのメーカーが撞いていないな、90%。
Jerry Franklinもその中の最初の方の一人で、球を撞かない人だとずっとずっと、つい5年ぐらい前まで信じていた。

でもJerryの作品をよく見てみると、SWは製作開始の頃と7,8年後では大きく変化していることがわかる。まるで別物だ。
だからこの変化を知って私の心の中では、Jerryはもしかして球を撞いていたのかな…などとイメージしていた。でも実のところはわからない。ただ言えることは彼のShopは男手6人であったし、名ディーラーのVinceは球が速くて大変上手かった。(余談だが人当たりも上手だったネ。)
おそらくShop内で打感についてとか、バランスとかテーパーとかをみんなで話し合い、どんどん改善したのだろうなと思う。これがSWの作品を通して見える推察である。彼らは球撞き仲間だったのだろうね。
いつも作業場は笑顔があふれ、自分たちの好きな物を作っているという空気にあふれていたのもこういうバックストーリーだと私にもよくわかる。キュー作りをしなければ全く思いもつかない考えだが、当たっていると確信するネ。

(球を撞かないメーカー達は“売る”ことには必死だが品質・打感にはまずこだわらない。一度キューを作り上げるともう変化はなかなかできないのだ。ごめんよ、90%達!!)

作り上げてからの数年間で優れたキューメーカーはどんどん作風・打感が良くなるのだ。



さて、今私が目指しているのは、
この“90年頃のSWの全盛期の作品”を超えるモノ作りである。


友よ!待たれよ次号!! 愉しい週末を!!



By Lucky