【 George Balabushkaはキューメーカー!! 】
掲載日 2017-12-31
今年(2017年)の7月あたりから少しずつ調子は悪くなっていたんですよ・・・で、とうとう年末の12月23日の朝にダウンしちゃった・・・私の旋盤のことです。
たぶんこのまま1ヶ月は仕事ができない。
私の仕事?とってもシンプルなただの木材削りですヨ、誰でもできます!!
先日、11月に北海道の松實さんと居酒屋で食事した時に聞かされました。
「毎日自分でキュー作ってるんですよね?インレイとかも全部自分でするんですよね?」
「はぁ?バッカじゃねぇの?そんな事をオイラがしたら年産3本になっちゃうよ!1本1000万円は貰わないと合わないな・・・」
「エーッ!!我々はみんなそう思っていましたよ。」
「イヤイヤ、うちにはシャフト材だけでたくさんあるの、毎年買い足して増やしているから削るだけで大変、年産50本のキュー工場でこんなバカな事をやっているんだから・・・オイラがインレイ入れたら1日せいぜい50ピースぐらいだよ。ムリムリ!!」
自分よりも息子たちの方が若い、頭もきれる、目も良い、忍耐力もある、良いことだらけだ。
オレがインレイを入れるかだと?インレイが全部割れちゃう、ミスだらけだ。
でも、ミスだらけだとそれが欲しいというコレクターも多い、穴なしの5円玉だ。現にKersenbrockはインレイミスがたくさん!!それがコレクターを狂わせるのよ…だよネ、松實さん。
アメリカのExpoで私がしていたキューの見方を話そうか、今日は。
Georgeから話はどんどん離れていくが、その時はその時。
テーマを“George”から“Lucky”に変えるか、それとも“△△△”?“〇×〇×”?にすれば良い。
Expoでは皆から見た私は“King Lucky”だったようだ、何人かにそう言われた。
ゆっくりとブースを見て歩く・・・特にキューのブースはゆっくりだ、何か目に付くところはないかとネ。
まずほとんどキューに触れない、会話もしない・・・たまに、ごくたまに、キューを取ってみてキャップを外し、持ってみる・・・まれにシャフトを見せてもらう。
「これ取っておいてネ。」となると大変なことになるんだって・・・何人もが彼のキューを買う、ちょうちんがつく訳だ。
話はあっという間に広がる・・・近いところではAndy.Rがそうなった。たった数年で価格は倍、全部売り切れ!!
自分がしていたのは当然の順番だ。そして決定権はシャフトにある。
シャフトを自分で作らない、削れない、というのはそんなキューはどんなに安くても値打ちはないと考えている。キューメーカーとは呼べないな、ゴメンよフェルプス君!!
キュー作り、それも木工品としてのキュー作りにおいてはシャフトが一番難しいのだと私は思っている。
この辺りはおそらく同調してくれる人でも誰もわからない、ウチの息子たちでもネ。
現実に自分と同じ材でやってみて作る人にしかわからない、だからBarryやDennisやShowmanでも自分と話が合う訳がない、ましてや一般の人には、だ。
自分は一年中メープルと話している、メープルの言葉を完全には理解できないが、でもだいぶ気持ちはわかってきたつもりだ。
キューを購入していた時と今では全く理解力は違っている、見方も違う。
でも、それまでの経験・知識が役立っていることも多いけど、逆にウソも多い。
Georgeはキューメーカー?
どうして自分はGusを愛したの?
なんで最初にKersenを集めたの?
どうしてKersenを集めるのをやめたの?
なんでGeorgeを集めなかったの?
たくさんの疑問が頭をよぎるのだ、なぜだ、Lucky?どうしてだ、Lucky?
今ならできる。自分はGeorgeの鑑定も世界の誰よりもできると思う。
この4、5日・・・白い紙を目の前に置いてペンを走らせているが、たくさんのことを整理できた、理解できた。
男子3日会わざればかつ目すべし!!
Lucky、未だ男なのだ!!
Q どうしてGeorgeはそれ程素晴らしい撞き味のキューを作れた???
A 1ピースキューを2ピースにぶった切って、というのがミソ!!
1ピースキューはすでに長期機関寝かされていた素晴らしいキューだった(天然・自然乾燥)そしてこれはあくまでも推理であるが、Georgeは自分でシャフトを角材から削るのではなく、Titlistを切って、そのシャフト材を自分のキューに合わせて付けたのだ、間違いない!!
8畳間程のスペースに木材を寝かせて、今までとは全く別なスタイルで59年から70年までと、70年から75年までのものを現行の我々のようなキュー作りをしていた、と信じるのが非常識なのである。
Georgeは自分の狭いSHOPで、バットは他人から手に入れ、シャフトはBrunswickのTitlistなどから必要な分だけCutしたものを用いた。
だから、ErnieはGeorgeの事をただのパーツ組立屋と呼んだ訳である。
他人の優れたところを有効利用して、上手に接着して自分の物として売り出した訳だ。頭が良いネ。でもメーカーとはとても呼べないな。(知りたくなかった人も多いかも、だネ)
Q Georgeの死後、なぜ誰もGeorgeを越えられないのか?
A Georgeはまず、接着が上手だった。
そして、キューに用いた材は充分にBrunswickで寝かされた自然乾燥のメープルであり、しかも、自分の目で1本1本を確かめて購入して、自分のものとして使用したのである。
数十年寝かされたシャフト材を上手に使われたキューと、他の人の新しく角材からおろしたばかりのシャフトでは天と地程の差が出るのは容易に想像できる。Gusはそのことを知ってか知らずか…、全て自分で製作している。それは見事なものだと思う。
ましてや1960年とかの頃には燻蒸して乾燥する技術もあったし、それも80年半ばには手に入らなくなってしまった、バキュームのスタートだ。
今ではメインが冷温だよ。素材が全く違うし、寝かせても違うので誰のキューも太刀打ちができないのが当たり前。
勝てるのは「Lucky」ただひとり!!本気だぜ!!!
最高の素材。