【 キュー作りを始めて学んだこと 】
掲載日 2017-11-29
張栄麟選手との契約が2017年末で切れる事は昨日の“ひとりごと”でお知らせしました。彼が圧倒的な成績で今年の初めからずっと世界ランキング1位だったこと、それも私の作った木工品を使っていての成績だったことは私にとっても大変嬉しいことでした。そしてその成績のおかげで大きなスポンサー契約を勝ち取ることができたことも素晴らしいことだと思います。
実は私のキューを使って優勝したり良い成績を残したのは彼だけではありません。
私が作った最初の15本のうちの1本でRodney MorrisがUS OPENのタイトルを獲ったのが2013年でした。
今思えば、当時の私はそのニュースを聞いてもまだ意味がわかっていませんでしたね。
その後、張選手の活躍もあり、私自身に少しずつ自信のようなものが芽生えました。
それがある意味で確信となったのは、一昨年の冬のこと、謝選手(当時20歳)のCPBAでの優勝でした。
世界中の強豪が集まるこの大会で張選手を破り、ウーチャーチンを破っての優勝は大変なことで、「たまたま」なんかで勝てるものではありません。
それが私のキューを使っていて勝ったということは大きな意味がありました。
Rodneyの優勝だけではやはり彼の才能と思われるかもしれません。でも17年ぶりのビッグタイトル獲得はとてもインパクトが強かった。それが張選手も勝ち始め、ついにプロツアーに出始めたばかりの謝選手もビッグタイトルを獲ったのです。
キューは単なるビリヤードの用具です。“使われてナンボ”のいたってシンプルなものだと思います。プレイアビリティが良くて初めて「キュー」と呼べる。
キューの世界はいたって単純で、現在のマーケットは量産品が席巻していますね、特にプロの世界ではその傾向が著しいのは皆さんもご存知かと思います。
私が作り始めた2010年はカーボンやチタンやグラスファイバーなどを使ったものが主流だったし、7年経った今でもその流れは加速していてこそすれ減速してはないと思います。
ずっとキューの世界に携わってきた私でも頭の中にはすでに最新素材がスポーツであるビリヤードの道具としては最適なものである、とインプットされていたのです。
なぜかというと、私が生まれて60数年になりますが、その間にスポーツの中の個人記録は大幅なj更新が行われています。木製のポールを使っていた棒高跳び等は4m弱だったものが今ではj6mをゆうに超えています。
ゴルフのドライバーだってひと昔前はプロでさえ250ヤード程でしたが、今では年配のプレイヤーや女性でさえこれに近く飛ばします。
テニスのサービスは時速220-250kmのスピードです!ほんの少し前は時速150?ぐらいでした。
人間の体はそれほど変わっていませんが、用具の進化でこんなことが起こっていたわけです。それは私の知識として積み重なって「ビリヤード」というスポーツもその波にあらがえない、その波が押し寄せていたのをやはり感じていた訳です。
毎年毎年画期的な新製品が様々な数値やグラフで説明されてお手頃な価格で販売される。売れるのは必定ですよね。
私は何度も家族に「いつまでこんな物作りができるかわからないけどねぇ、、、」なんて言いながら始めましたし、先の見えないまま続けてきました。
自分が好きなビリヤードのキューを自分の信じた方法で、美学で作れる事は何物にも代えがたいものでした。
Rodney Morrisの優勝で少しショックを受け、張選手では自信がつき、謝選手で確信になりました。
ビリヤードはスポーツである。
道具は最新素材を使って科学的に説明される物が良い事はスポーツとしては正しいし当たり前である。ハイテク素材が合うし、量産する立場として製造コストも低くて均質な製品化ができるのだから言う事なしである。
ただし、木工品でもそれに近づく努力をし、神経を注いで製作すれば木工品としての良さがより一層出て互角に戦う事が出来る、そんな気がします。
中国のF社の工場では月産30万本も作るそうです。そんな会社が3つもあると耳にして大変驚きました。でも自分の作った小さな工房での作品でも世界に互角に戦えるということは、ビリヤードの道具では木工品もまだまだ捨てたものではないということを示していると思います。
ビリヤードの量産品の世界でNo,1はM社ですが、私は木工品の世界でなんとかM社の品質に遅れないように頑張りたい。
張選手、ありがとう!!頑張れ!!